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名古屋高等裁判所 昭和30年(ネ)288号 判決

第一審原告(第二八八号控訴人・第三二二号被控訴人) 安田夫美子

第一審被告(第二八八号被控訴人・第三二二号控訴人) 佐竹秋一

主文

第一審原告の控訴及び第一審被告の控訴をいずれも棄却する。

当審における訴訟費用は、これを二分し、その一を第一審原告の負担とし、その余の一を第一審被告の負担とする。

事実

原告(以下、第一審原告を単に原告と、第一審被告を単に被告と略記する)の代理人は、「原判決中原告のその余の請求を棄却するとある部分を取り消す。被告は原告に対し金百万円及びこれに対する昭和二十七年五月四日以降右完済に至るまでの年五分の割合による金員の支払をせよ。訴訟費用は第一、二審とも被告の負担とする。被告の控訴を棄却する」との判決を求め、

被告の代理人は、「原判決中被告敗訴の部分及び訴訟費用の負担を被告に命じた部分を取り消す。原告の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも原告の負担とする。原告の控訴を棄却する」との判決を求めた。

当事者双方の主張は、被告代理人において左記のとおり陳述したほか、原判決事実欄の記載と同一である。

被告代理人の陳述

(一)  被告は、本件発生当時被告方の店舗より奥の方勝手土間における鉄棒を軸としこれに鉄鎖で犬を繋いでそれが他人に危害を加えないように十分の注意をし、もつてその管理義務を尽していたのである。そして被告方家人が用件でしばらくの間外出しその際店舗を全部締めておいたので、表より留守であることが誰にでもはつきりとわかる状態であつた。しかるに原告は、附近の子供等と共に無断で被告方に侵入し、しかも右犬の上に倒れかかつたので、犬は驚いて原告にかみついたのである。したがつて原告の負傷はまつたく原告自身が招いたものであつて、そのことの発生につき被告にはなんらの過失もなかつたのである。

(二)  そして本件の発生につき被告に過失があつたと仮定しても、原告にもまた過失があつたのである。原告が当時三歳の幼児であつたため、原告の過失ということは問題にならないものとしても、原告の親権者たる安田廉及び安田満寿子に原告の監督義務を怠つたという過失があつたのである。したがつて原告またはその親権者に存在した過失を顧慮して、過失相殺をなすべきである。

証拠の提出援用及び書証の認否は、原告代理人において、当審における原告法定代理人安田廉及び同安田満寿子の各供述並びに検証の結果を援用し、被告代理人において、当審における証人岡安雪子同高橋宗一、同安田誠雄及び被告本人の各供述並びに検証の結果を援用し、更に双方代理人において、それぞれ「原審で証人岩田美好は二回尋問されているが、その供述を第一、二回分とも援用する」と述べたほか、原判決事実欄の記載と同一である。

理由

原告が昭和二十三年三月十九日父安田廉及び毋安田満寿子両名の長女として出生しその父毋と共に大垣市横曽根町千五百八十五番地に居住して父母の親権に服して来たものであること並びに原告が昭和二十七年一月二十三日午前十一時頃その附近なる右横曽根町五百八十五番地所在の被告方家屋において被告の占有飼育する犬に咬まれて傷害を受けたことは、当事者間に争がなく、原告の右傷害が右頬の長さ四糎の裂創(筋肉も一部裂けた)、右眉毛部外側の長さ〇、五糎の刺創、後頭中央部の長さ二、五糎の裂創(骨膜に達し出血多量)及び後頭右下部の長さ五糎の裂創(同上)であつたことは、原審における証人田中義雄、同佐竹はな及び原告法定代理人安田満寿子の各供述と右田中証人の証言に徴して真正に成立したものであることが明かな甲第一号証とを総合して、これを認めるに十分である。

被告は、右事件の発生当時被告において動物の種類及び性質に従い相当の注意をもつて右犬の保管をしていた、と主張するから、この点について判断する。

原審における証人中島広吉、同安田由太郎、同安田すゑ、同岩田美好(第一、二回)、同佐竹徳弥、同佐竹はな、原告法定代理人安田満寿子、同安田廉(第一、二回)及び被告本人(第一、二回)の各供述並びに検証(第一、二回)の結果と当審における証人岡安雪子、同安田誠雄、原告法定代理人安田満寿子、同安田廉及び被告本人の各供述並びに検証の結果とを総合して考察すれば、

一、被告方の右家屋は南北に通ずる道路に面してその東側に所在する間口五間の西向き木造建物であつて、同家屋の右道路に面する部分のうち南端の一間半の所が表出入口となつていて、そこに硝子戸があり、その表出入口から屋内に入ると、ただちに幅(南北の長さ)一間半、奥行(東西の長さ)三間一尺二寸の土間があり、こり土間に隣接してその左側(北側)に表の方(西の方)より順次六畳の部屋及び四畳半の部屋が存在することなお右土間のうち表の方の部分(すなわち土間のうち前記六畳の部屋に隣接する部分、被告が店土間と主張しているのはこの部分をさすものと解する)と右土間のうち奥の方の部分(すなわち土間のうち前記四畳半の部屋に隣接する部分、被告が勝手土間と主張しているのはこの部分をさすものと解する)との間には壁または戸がなく、したがつてその両部分が別室のように区劃されてはいないこと。

一、被告方は、被告(昭和二十七年において五十一歳位)、その妻佐竹はな、被告の実父佐竹徳弥及び被告夫婦の養子佐竹秀夫(当時小学校生徒)の四人暮しであつて、右の六畳の部屋と土間のうち南側壁に沿う部分とに戸棚、陳列棚等を置いて商品を陳列し、そこを店舗として菓子、醤油、酒、塩、煙草、肥料、米等の小売商を営み、右家屋のうちその他の部分を住居としていたこと(ただし、土間のうち奥の方の部分には、叙上の商品戸棚等だけでなく、家人用の下駄箱等をも置いてあつた)。

一、被告は、昭和二十五年五月頃他より当時生後二、三カ月位であつた右犬(雄犬、俗にアイヌ犬または北海道犬と称する品種に属し、ソリ索引用に使用するもの)を譲り受け、ハチと命名し右土間のうち奥の方の部分に犬の出入自由な犬箱を置いて、その飼育をしており、したがつて表出入口よりただちにその犬箱が見えるという状況にあつたこと(なお右犬は、昭和二十九年六月において高さ一尺八寸、尾の部分を除いた全長二尺八寸、体重五貫五百匁あつた)。

一、ところが、昭和二十五年八月頃被告方向側に居住する訴外安田由太郎の長男安田勝(当時十一、二歳)が被告方南側において前記秀夫の所持する鎖に繋いである右犬の頭を愛撫したところ右犬は、「ワツ」とほえて、勝の後頭部に咬みつき、そこに犬の三本位の歯跡の大きさの傷害を加え、その負傷部分には、一回医師の治療を受けたけれども、結局少しばかり傷跡が残存するに至り、更に昭和二十六年十二月頃訴外中島香折(当時十歳位)がその兄と共に新聞配達の途中被告方附近道路上において前記秀夫が右犬を繋いだ鎖を所持して散歩しているのと出会つたので犬を警戒してその近くを歩くことを避け道路の西端を通行したにもかかわらず、右犬は突然香折に飛びついて被服の上からその肩附近に咬みつき、そのために被服が破れ、咬みついた所の皮膚が一時紫色に変色した(なお昭和二十九年九月には前記安田由太郎の子安田一美―当時四歳位―は、右犬によつて前額部に咬みつかれ、医師の治療を受けた)という事件が発生したこと、このような状態であつて、右犬は、被告方家人には極めて温順であつたけれども、他人特に他家の子供達に咬みつく危険性を有するものであつたこと。

一、昭和二十七年一月二十三日には、被告は早朝から外出し、秀夫は学校に行き、徳弥とはなは在宅していたけれども午前十一時前後頃いずれも近所に出掛けてしばらく不在であつたが、このように被告方家人全員の不在中、原告は、原告と遊んでいた柏木常吉、柏木孝雄及び安田誠雄(当時いずれも三歳乃至六歳位)の三名が被告方に菓子を買いに行くのに随伴して、その三名と共に表出入口より被告方家屋の前記土間に入つたところ、その土間にいた右犬は、原告に咬みつき、その顔面及び頭部に前記認定の傷害を加えたこと。

を認めるに十分である。原審における証人山中高雄及び同岩田美好(第二回)の各供述並びに当審における被告本人佐竹秋一の供述中には、昭和二十七年一月二十三日当時前記土間のうち表の方の部分と奥の方の部分との中間に、酒箱等が置いてあり、カーテンが張つてあり、それによつて右土間はその両部分に区劃されていた、というような趣旨の部分があるけれども、その供述部分は当裁判所の措信し難いところである。

次に被告は、「本件の犬は他人に対しても極めて柔順であつて挑発行為がなければ人に咬みつくことはない。咬みつかれたのはいずれもその者に挑発行為があつたためである。被告は、昭和二十七年一月二十三日当時土間のうち奥の方の部分に鉄棒を打ち込み、これに鉄鎖をもつて犬を繋ぎ、犬が土間のうち表の方の部分に出入することができないようにしておいた。そして同日は被告方が不在であつたため店舗の戸を全部締めておいたので表道路より被告方の不在であることが誰にでもはつきりわかる状態であつたにもかかわらず原告は、無断で被告方に侵入し、土間奥の方の棚に赤い面型があるのを見て勝手にこれを取りに行き、過つて犬の上もしくはその近くに倒れたかまたは倒れかかつたので、犬に咬まれたのである」という趣旨の主張をしているけれども、乙第一号証の記載、原審における証人中村直義、同板倉はま子、同岩田美好(第一、二回)、同松岡高夫、同山中高雄、同佐竹徳弥、同佐竹はな及び被告本人(第一、二回)の各供述並びに当審における証人岡安雪子、同高橋宗一、同安田誠雄及び被告本人の各供述中右主張の全部または一部に副う部分はにわかに信用することを得ず、その他の証拠によつても、右の主張事実を確認することができない。被告方は、右の土間及び六畳の部屋に商品を置き、そこを店舗として客の来集を目的とする商業を営んで来たものである。そしてその表出入口、土間等の状況は前記のとおりであつた。原告等が被告方に赴いた際表出入口の硝子戸が締めてあつたか否かは明確でないが、その際硝子戸が締めてあつたものと仮定しても、そこに施錠がしてあつたことを認めるに足る証拠はなく、また外部に対して被告方の不在、休業等を明示するような方法が講じてあつたことの証明もない。その際右硝子戸の内側にカーテンが張つてあつたという当審における証人高橋宗一及び被告本人の各供述部分は措信することができない。時はまさに冬期厳寒の候であつたが、このような時期においては、特に商店が店舗の硝子戸を締めたままで営業をしており、顧客みずからその戸を開閉して店舗に出入しているようなことも、世上よく行われているところである。次に原告等が被告方土間のどの部分まで入つて行つたかも明確ではない。原審における証人佐竹徳弥及び同安田すゑの各供述並びに検証(第一回)の結果を総合して考慮すれば、原告の負傷直後右土間のうち前記四畳半の部屋に隣接する部分(すなわち被告が勝手土間と主張している部分)内に原告の血と思われるものが少しばかり落ちていたことを推知することができるから、原告等は土間のうち四畳半の部屋に隣接する部分にまでも立ち入つたのかも知れないと想像せられる。しかしながら、叙上説示の事実関係のもとにおいては、人々が商品買入等の目的をもつて表出入口より被告方土間に入り、しかもその際表出入口の締めてある硝子戸を開いて入り土間のうち四畳半の部屋に隣接する部分にまでも歩行して行つたとしても、そのことをもつてただちに住居侵入として不法であるということはできない。その顧客に随行者があつて、その随行者も入つて来た場合についても同様である。されば原告が被告方土間に入つたことを不法視する被告の主張は理由がない。

右犬は、前記のように、本件発生の昭和二十七年一月二十三日以前において既に二回も他人に咬みついたことがあり、他人に危害を加える危険性のあるものであるところ、一般に人々は、猿、熊等に対しては、それが他人の飼育中のものであつても、当初から相当の警戒をするけれども、飼育中の犬、猫等に対しては、右に比して、はるかに警戒心の薄いのが通常であるから、他人に危害を加える危険性のある犬を飼育する者は、他人が接近する虞のない構内、屋内等の適当な場所にこれを繋留する等の方法により、それが他人に危害を加えることのないよう万全の措置を講じて犬の保管をなすべき注意義務を負担するものといわなければならない。特に本件のように犬の飼育者方が店舗を開設して客の来集を目的とする商業を営んでいる場合においては、犬を店舗またはその附近に置くことなく、客等が出入しまたは接近する虞のない他の場所に繋留すべく、もし店舗またはその附近にこれを置く場合には、犬に口輪を附して繋留するとか、完全な檻にこれを収容しておくような措置を講ずべく、犬を屋内の店舗またはその附近に置いたままで家人全員が不在となるような場合には、家屋の出入口全部を閉鎖して施錠をする等の方法により、犬が屋外に出て行くことを防止し、かつ客等が店舗に出入することのないようにし、もつて犬が他人に危害を加えることのないよう十分の注意をすべきである。飼育者はみずから叙上の処置を講ずるか、少くとも家人をしてその処置を講ぜしめるよう注意すべき義務がある。しかしながら、本件においては、被告が昭和二十七年一月二十三日当時においてみずから叙上の処置を講じまたは家人をしてその処置を講ぜしめて注意義務を尽していたことの証明がない。かえつて客等がしばしば出入する前記土間のうち奥の方の部分-その部分は、店舗の一部とみるべきであるが、仮に然らずとしても、店舗に接続しこれに極めて接近した場所である-に、漫然と前記のような犬箱を備えて人に咬みつく危険性のある犬を置いたままで、被告は早朝より外出し、その他の家人もしばらく不在となり、その間菓子を買うために入つて来た子供達に随伴してこれと共に右土間に入つて来た原告に犬が咬みついた、という事実その他の前記認定事実から観察すれば、被告は犬の保管について叙上の注意義務を欠き過失があつたものとみるべきである。

したがつて被告が動物の性質等に従い相当の注意をして本件犬の保管をしていたということはできない。

次に上記説示の事実関係のもとにおいては、原告が犬に咬みつかれたことについて原告自身に過失があつたものということはできないのみならず、仮に原告自身に過失があつたとしても、原告は当時僅かに三年十カ月の幼児であり責任無能力者であつたから、原告に対してその過失行為の責任を追究することはできない。そして原告の親権者たる廉及び満寿子の両名に原告の監督につき過失があつたことの認むるに足る証拠はない。それで被告の過失相殺の抗弁は排斥する。

そして原審における原告法定代理人安田廉(第一回)の供述によつて真正に成立したものであることが明かな甲第三号証の一、二、その供述によつて昭和二十九年九月二十日に撮影した原告の写真であることを肯認し得る甲第六号証、原審証人佐竹はなの供述によつて真正に成立したものであることを推認し得る乙第二号証、原審における証人原田一司、同佐竹はな、原告法定代理人安田満寿子、同安田廉(第一、二回)及び被告本人(第一、二回)の各供述並びに当審における原告法定代理人安田満寿子、同安田廉及び被告本人の各供述を総会すれば、

一、佐竹はなは、「犬に咬まれた」という子供達の叫び声や原告の泣き声等を聞き驚いて近所より取り急ぎ帰宅し、早速原告を背負い附近の篠田内科医院に赴いて暫定的応急手当を受け、安田満寿子は、これを知つて夫廉と共に、即日原告を名古屋市の田中外科医院に連れて行き、傷口の縫合その他の治療を受け、以来約二週間原告を大垣市の西濃病院に通院させて、その治療を受け、それによつて傷害はほぼ治癒したけれども、各負傷部分に傷跡を残し、特に右頬の裂創部分に長さ約四糎の赤褐色(寒冷に際してはやや暗紫色となる)を呈する傷跡を残し、そのために原告の容顔は毀損されるに至つたが、右頬の傷跡は、容易に消除することのできないものであつて、恐らくは終生残存するに至るべき程度のものであること。

一、原告方は、岐阜県下における旧家、名望家であつて、戦後の農地改革以前には大地主であつたのであり、今日においても多くの貸家、宅地等を所有し相当の資産信用を有しており、原告方の子女には従来良縁を得たものが多く、その婚家その他の原告方親族には社会的経済的有力者が多数存在するのであるが、顔面の右傷跡は女子たる原告に生涯多大の精神的苦痛を与えるものであること。

一、被告方は、前記のような商業を営んで多大の利益を挙げ、前記家屋その他の不動産を所有し、相当の資産を有すること、もつとも塩、煙草等の小売業は被告名義で、その他の営業は徳弥または秀夫の名義でなされており、かつ不動産等も多くは徳弥または秀夫の所有名義になつているけれども、右営業及び財産についての実権は被告が掌握しているという状態にあること。

一、原告をして篠田内科医院で応急手当を受けさせたことによる医薬費金百五十円は被告方において支払つたけれども、被告もその家人も極めて冷淡な態度に出て原告またはその両親に対し今日に至るまでなんらの慰藉の方法も講じていないこと。

を認めるに足り、原審及び当審における被告本人の各供述中右認定に反する部分は措信しない。

以上説示のすべての事実を基礎としその他口頭弁論に顕出された諸般の事情をしんしやくして考慮すれば、被告をして原告に対し慰藉料として金十五万円を支払わしめるのが相当であると思料せられる。

したがつて被告は原告に対し金十五万円及びこれに対する本件訴状が被告に送達された日の翌日なること当裁判所に顕著な昭和二十七年五月四日以降右完済に至るまでの民事法定利率年五分の割合による遅延損害金を支払うべき義務がある。

原告の本訴請求は、右の限度において正当として認容し、その余は不当として棄却すべく、これと同趣旨に出た原判決は相当であつて、本件各控訴はいずれも理由がない。それで民事訴訟法第三百八十四条第九十五条第八十九条により、主文のとおり判決をする。

(裁判官 北野孝一 大友要助 吉田彰)

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